道鏡塚(古墳)は龍興寺(りゅうこうじ)の境内(けいだい)にあり、奈良時代の僧(そう)道鏡の墓と伝えられます。調査によって、直径(ちょっけい)約38mの円墳(えんふん)であることがわかりました。古墳の周辺から埴輪(はにわ)の破片(はへん)が見つかっています。
道鏡は奈良時代の僧侶(そうりょ)で、天皇(てんのう)に次ぐ法王(ほうおう)という位(くらい)までになりましたが、770年8月に造下野薬師寺別当(ぞうしもつけやくしじべっとう・寺の建設工事の責任者)として下野国(しもつけのくに)にやってきました。2年後の772年に亡くなりましたが、庶民(しょみん)と同じように埋葬(まいそう)されたということから、現在でもどこが道鏡の墓であるかわかっていません。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
下野薬師寺別院、龍興寺境内にあり、奈良時代の高僧、弓削道鏡の墓所。6世紀末頃に造られたと見られる円墳で、直径は約24m。龍興寺のシラカシの北側にあります。
さくら/40代/女性/宇都宮
下野薬師寺の別院・龍興寺の境内にあります。この古墳は、奈良時代の僧侶・弓削道鏡の墓だそうです。道境は、厳しい修行を積み重ね、当時の天皇の信頼も厚く、大政大臣にまでなったが天皇が亡くなった後にここに左遷され、2年後に亡くなったそうです。古墳の周りには冬の時期にも関わらず、木々の葉が緑濃く茂っていました。龍興寺も立派なお寺なのでこちらもあわせて観るといいですよ。
ノア/40代/女性/宇都宮
龍興寺敷地内にあり、弓削道鏡という僧侶のお墓だそうです。うっそうとした林のように見えますが、入口には石碑と供養塔が建てられています。道教は仏教だけでなく医学も身につけ、天皇の信頼もあった立派な方だったのに、遠く離れた地に左遷され、死亡時には庶民と同じ扱いをされたとか、何か訳があったとしても、気の毒に感じます。
ぴかりん/40代/女性/日光
龍興寺の中に道鏡塚という古墳があります。これは奈良時代の高僧、弓削道鏡のお墓です。道鏡は若い時から仏門に入り、修行をして孝謙天皇に仕えておりましたが左遷され、この地で眠っているそうです。もの悲しい感じがします。
まめっち/40代/女性/市貝
龍興寺の境内の奥、天然記念物のシラカシの隣にありました。6世紀末の円墳であったそうです。道鏡は、左遷された2年後に亡くなってしまい、悲しいお墓だと思いました。
はる/40代/女性/宇都宮
日本史の教科書で習った有名なお坊さんのお墓がこんなところにあるなんて!正直びっくりしました。一時は権力の頂点まで登り詰めかけた人が、当時からすれば辺境の地で生涯を閉じなければならない心境ってどうだったのかな、と改めて考えてしまいました。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
龍興寺境内にある道鏡塚(古墳)を訪れました。奈良時代の高僧・弓削道鏡の墓と伝えられているのですね。あまり形がわかりずらかったのですが、小型の円墳です。シラカシのすぐ近くにありました。
ななっち/50代/女性/小山
称徳女帝の後ろ盾で法王に登りつめ、皇位まで狙った奈良時代の僧・弓削道鏡が、称徳天皇の死後下野国薬師寺の別当職に左遷、没した後、この塚に葬られたという伝承が残されていますが、古墳としての形は確認しづらいですが、手前には古い石塔が並び、建物の礎石も見られ、この古墳の歴史も感じることが出来ます。
みおみお/30代/女性/宇都宮
龍興寺本堂のすぐ脇にある少し高くなった茂みのような場所でした。奈良時代の僧侶、道鏡のお墓と言い伝えられている古墳で、下野に左遷されて亡くなったそうです。8世紀の時代に、奈良からはるばる下野の地へ来なければいけなかったというのは、ずいぶんと寂しかったでしょうね。