甲塚古墳は、下野国分寺跡(しもつけこくぶんじあと)の南西部にあります。全長が約85mの帆立貝形前方後円墳(ほたてがいがたぜんぽうこうえんふん)ですが、過去の発掘(はっくつ)によっておおきく壊(こわ)されているほか、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)のあった場所も大きく壊されています。発掘調査により、馬形埴輪(うまがたはにわ)4体や人物埴輪(じんぶつはにわ)20体以上が見つかったほか、大量の土器(どき)も見つかりました。これらの出土遺物(しゅつどいぶつ)からこの古墳は今から約1350年前につくられたことがわかりました。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
国分寺跡の南西に位置し、国分寺の僧兵の冑を埋めた伝説があるそうです。後の調査で埴輪などが出土されたようですが、案内板等が無く分かりづらく残念です。
さくら/40代/女性/宇都宮
国分寺跡の南西にあり、横を通る県道も交通量が多いので近くで車を止めるのは困難だと思います。天気の良い日に天平の丘公園から徒歩で訪れることをおすすめします。ここから発見された出土品は、近くの「しもつけ風土記の丘歴史資料館」で観ることもできます。
ノア/40代/女性/宇都宮
下野国分寺跡の南側にあります。6世紀後半に造られた帆立貝のような前方後円墳ですが今は、うっかりすると見落としてしまいそうな雑木林になっています。古墳の中では小規模ですが、埴輪や土器など200点以上も出土していて、復元されたものは近くのしもつけ風土記の丘資料館で見ることができます。
はる/40代/女性/宇都宮
下野国分寺跡のすぐ隣にあるので立地上間違いはないはずなのですが、何の案内板もなかったので「本当にこれなのかな?」と思ってしまいました。国分寺の僧兵の冑などの具足を埋めたという説からついた名前なのですね。国分寺が整備中だったため足元の状態があまり良くありませんでしたが、整備が完了したら双方もっと見やすく、その歴史も更にわかりやすくなるのでしょうね、楽しみです。
ぴかりん/40代/女性/日光
下野国分寺跡の南西にある前方後円墳です。国分寺の僧兵のよろいを埋葬したという伝承が、甲塚古墳といわれる所以です。発掘調査で須恵器、土師器などの土器や人物・馬形などの埴輪が発見されたことから、6世紀後半の古墳と推測されます。道路から見えますが、うっかりすると見落としてしまいます。
まめっち/40代/女性/市貝
国分寺跡の南西にあります。国分寺の僧兵のよろいを埋葬したという伝承から甲塚古墳という名前がついたそうです。帆立貝式前方後円墳で、6世紀後半に造られたそうです。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
国分寺跡近くに位置しており、県道18号線に面したところにありました。古墳時代の終わりごろに造られた帆立貝式前方後円墳です。明治時代に墳丘を十字型に分断して発掘し、元に戻さず放置したとのことから、確かに分断された中央部がちょっぴり痛々しい姿を残しているように感じました。
ななっち/50代/女性/小山
現在、下野国分寺跡の復元工事をしている地域に隣接し、案内板などは見られませんでした。古墳の中央部分がくぼんでいますが、それは古墳自体の形でなく、過去の発掘の際に掘られたままとのこと。周辺の整備とともに、こちらの古墳も昔の姿にもどってほしいと感じました。
みおみお/30代/女性/宇都宮
小山・壬生線沿い、下野国分寺跡すぐそばにあり、こんもりとした木が茂る様子に思わず通り過ぎてしまいそうな古墳でした。実は帆立貝のような形をしているそうです。立派な馬形や人物の埴輪、大量の土器が出土したらしく、これからも下野の歴史を知る史跡として、形を崩すことなく残ってほしいと思う古墳でした。