この石碑(せきひ)は、二十三夜と二十六夜塔を合わせたもので、江戸時代の享和(きょうわ)3年(1803)に建てられたものです。二十三夜塔と二十六夜塔が一つの石に刻(きざ)まれている石碑は県内でも数少なく貴重(きちょう)なものです。この石碑は以前は別の場所にあったものが現在の場所に移動(いどう)されたものですが、かつて石碑があった周辺が大学川原(だいがくがわら)といわれ、当時宇都宮領(うつのみやりょう)と結城領(ゆうきりょう)の境界(きょうかい)になっていたと言われています。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
享和3年(1803年)に造立されたもので、二十三夜と二十六夜塔が一つの石に彫られた、珍しい形式の石碑だそうです。古文書等の史料に記載のない当時の地名が刻まれており、歴史的な史料としても貴重とのこと。田んぼの中にあり、きちんと祀られていました。現在でも、地元の方によって大切にされているようです。
さくら/40代/女性/宇都宮
田園風景の中、道路に面したあるお宅の庭先にこの供養塔がありました。昔は特定の月齢の夜に集まって日の出や月の出を拝む習慣があったそうです。特に二十三夜の月待ちの習慣は、昭和初期ころまで残っていたようですが、今は全く聞いたことがありません。ただ、月は古来から日々の暮らしと密接につながっていたんだなと思いました。
ノア/40代/女性/宇都宮
江戸時代後期に建てられた供養塔で、二十三夜と二十六夜塔が一緒になっているものは、珍しいそうです。田畑の広がるのどかな場所にあり、ちょっとわかりづらかったので、地元の方に教えてもらい、昔のお話なども聞くことができました。月供養などの信仰も深く、地域の結びつきも強かったのだと感じました。
ぴかりん/40代/女性/日光
18世紀の後半から昭和初期にかけて、旧暦の二十三夜と二十六夜などに月が出るのを待ちながら、お勤めや飲食をして月の出を待つ「月待ち信仰」と呼ばれる行事があったことを知りました。この石碑はその供養のしるしで、道路脇にひっそりとたてられていました。1803年に作られたもので、二十三夜と二十六夜塔が一つの石に掘られています。古文書にのっていない当時の地名を知る手がかりになる、下野市の有形文化財でもあるそうです。
はる/40代/女性/宇都宮
地元の人しか通らなそうな農道沿いだなあ、という印象はありましたがとても見通しのよいところにありました。約200年前に造られた石碑で当時の地名が記されている点でとても貴重な史跡だそうです。
まめっち/40代/女性/市貝
周りは田んぼですが、民家の隣に建っていたので見つけやすかったです。二十三と二十六夜が一つの石に掘られた珍しい形式の石碑だそうです。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
この供養塔は二十三夜と二十六夜塔が一つの石に彫られた石碑で、珍しい形式なのだそうです。民家と電柱の近くにありました。見過ごさないようにゆっくり探してくださいね。
ななっち/50代/女性/小山
二十三夜・二十六夜と共に刻まれている供養塔は大変珍しいとのこと。近くのお年寄りに聞いたところでは、以前の場所は今よりも道隔てて少々南側の角地にあったとのこと。塔には現在使われていない地名なども刻まれていて、歴史的資料としても重要なようです。
みおみお/30代/女性/宇都宮
1803年に造立されたものだそうで、史料に記載のない地名で「大学川原」「東坪中」と刻まれているのだそうです。地元の方によると、この辺りは田川と江川、鬼怒川にはさまれていて、昔はよく大雨が降るたびに水に浸ったのだそうです。その話を聞き、銘文に刻まれた地名にも納得しちゃいました。