この石碑(せきひ)は江戸時代の寛政(かんせい)10年(1798)に薬師寺村と三王山村の人々によって建てられた、自然石(しぜんせき)に文字を刻んだものです。道標(どうひょう・道しるべ)もかねていて、「右、於さく道 左、小金井道」と記されています。この付近には古くからの道路が通っていて、ほぼ建てられた場所のままで、道標(どうひょう)を兼(か)ねた月待塔(つきまちとう)として地域の人々に広く信仰(しんこう)されていました。なお右「於さく道」とは、鹿沼市にある石裂山(おざくさん)への道しるべで、石裂山信仰(おざくさんしんこう)が当時この地域(ちいき)に広まっていたことがわかります。