この石碑(せきひ)は江戸時代の寛政(かんせい)10年(1798)に薬師寺村と三王山村の人々によって建てられた、自然石(しぜんせき)に文字を刻んだものです。道標(どうひょう・道しるべ)もかねていて、「右、於さく道 左、小金井道」と記されています。この付近には古くからの道路が通っていて、ほぼ建てられた場所のままで、道標(どうひょう)を兼(か)ねた月待塔(つきまちとう)として地域の人々に広く信仰(しんこう)されていました。なお右「於さく道」とは、鹿沼市にある石裂山(おざくさん)への道しるべで、石裂山信仰(おざくさんしんこう)が当時この地域(ちいき)に広まっていたことがわかります。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
寛政10年(1798年)紀年銘のある道標を兼ねた二十三夜塔。「廿三夜供養塔」と右側に「右於さく道」左側に「左小金井道」と刻まれており信仰・道標として多くの人々の守られ、歴史的にも貴重な資料とのこと。ショコラの食卓様、南西交差点角にあります。
さくら/40代/女性/宇都宮
幹線道路からはずれた小道の分岐のところにひっそりと建っています。石には中央に「廿三夜供養塔」、左に「左小金井道」右に「右於さく道」と刻まれています。供養と同時に当時の道しるべとしての役もあったようです。
ノア/40代/女性/宇都宮
江戸時代に建てられた物のようですが、信仰の対象の供養塔と道標を兼ねているのは、珍しいそうです。県道310号線の黄鮒寿司の脇道を下った右側にあります。細い道ながら結構車も通るので、道路拡張などしないで残して欲しいと思いました。
はる/40代/女性/宇都宮
この供養塔は、供養塔と道しるべの双方の役割をあわせ持った希少なものだそうです。住宅地の中にあるので、当時の生活道路と現在の生活道路が一致しているところを実感することができました。
ぴかりん/40代/女性/日光
寛政10年(1798)と造られたと書かれています。「ショコラの食卓」さんのすぐ近くで、結構人通りがありました。細い道の片隅にある供養塔ですが、道しるべの役割も兼ねてきた重要なものだと知りました。月待ち信仰の対象として、大切に守られてきたそうです。
まめっち/40代/女性/市貝
自治医大病院前の310号線から「ショコラの食卓」の交差点の角にありました。駐車場のポールも目印になります。寛政10年に建てられた供養塔ですが、そのままの形で残っていました。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
ショコラの食卓さんというお店のすぐ近くの細い道にひっそりとありました。中央に「二十三夜供養塔」右側に「右於さく道」左側に「左小金井道」と刻まれており、道標としてもたくさんのひとに安心を与えていたのだなと感じました。
ななっち/50代/女性/小山
この二十三夜塔は主尊を刻さない文字だけの塔。当時、講の月待ち(二十三夜待ち)の信仰によって記念碑として建てられたとも。こちらの場合は、道標としての役割もあったようです。
みおみお/30代/女性/宇都宮
「ショコラの食卓」さんからすぐの細い路地にある塔です。見逃がしてしまいそうな小さなもので、目の前の二股に分かれた道の行き先を教える道しるべでもあったそうです。昔の人は、こんな小さなしるしを頼りに旅をしていたのですね。