薬師寺城跡は、小山長村(おやまながむら)の子である小山五郎左衛門尉朝村(おやまごろうざえもんのじょうともむら)が鎌倉時代(かまくらじだい)の寛喜(かんぎ)年間(1229~1232)に築城(ちくじょう)したと考えられています。現在は、堀(ほり)と土塁(どるい)が部分的に残されているのみで、当時の姿(すがた)を知ることはできません。しかし、付近には館野前(たてのまえ)、館野北(たてのきた)などの地名が残されていることや、1947年に撮影(さつえい)された米軍の空中写真で確認することのできる堀跡(ほりあと)の範囲から、城の規模(きぼ)はかなりの大きさであったことがわかります。