下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東約600mのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇(しょうむてんのう)の詔(みことのり)によって建てられたお寺で、正しくは「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といいます。昭和39年から発掘調査がおこなわれ、金堂(こんどう)、講堂(こうどう)、鐘楼(しょうろう)、経蔵(きょうぞう)、回廊(かいろう)、中門(ちゅうもん)などが見つかりました。これらの建物の配置は国分寺と同じく東大寺式(とうだいじしき)ですが、塔はつくられていません。
下野国分尼寺は、現在主な建物の基壇(きだん)と礎石(そせき)が復元表示(ふくげんひょうじ)され、史跡公園(しせきこうえん)として活用されています。