下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東約600mのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇(しょうむてんのう)の詔(みことのり)によって建てられたお寺で、正しくは「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といいます。昭和39年から発掘調査がおこなわれ、金堂(こんどう)、講堂(こうどう)、鐘楼(しょうろう)、経蔵(きょうぞう)、回廊(かいろう)、中門(ちゅうもん)などが見つかりました。これらの建物の配置は国分寺と同じく東大寺式(とうだいじしき)ですが、塔はつくられていません。
下野国分尼寺は、現在主な建物の基壇(きだん)と礎石(そせき)が復元表示(ふくげんひょうじ)され、史跡公園(しせきこうえん)として活用されています。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
奈良時代に聖武天皇が国家の平安を祈願し建立したものといわれており、奈良の東大寺と同じ様式で、東西145.4m、南北167mと推定されているそうです。
さくら/40代/女性/宇都宮
現在は、下野市の観光の名所になっている「天平の丘公園」の北側にあります。奈良時代に天皇が国家の平安を祈願して、建立された寺院の一つで、当時は10人の尼がいたそうです。現在は、公園の中に礎石が残っているくらいで建物はないのですが、敷地内に講堂・金堂・中門・南大門が南北に並んでいたようです。隣接する「下野風土記の丘資料館」があり、そこで詳しく当時の様子や発掘調査の経緯などが分かるので、是非そちらも立ち寄ってみるといいですよ。
ノア/40代/女性/宇都宮
天平の丘公園のとなり、下野国分寺跡から600mという近さにあります。建てられた目的や、造りは国分寺と同じ(塔はなかった)と考えられています。現在は史跡公園として整備されています。天平の丘公園は、淡墨桜で有名ですが、この尼寺跡の周りにも桜の木がありました。春になったら再度訪れてみたいと思います。
ぴかりん/40代/女性/日光
奈良時代に建立された国分尼寺は、国ごとに建てられた官立のお寺で、尼僧の方が平和を願っていたところであることを知りました。とても広い場所です。荘厳で鮮やかな朱色のイメージが浮かびます。お花見をしていた場所がこんなに偉大なお寺の跡だったとは、感動しました。国指定史跡です。
まめっち/40代/女性/市貝
現在は広い敷地に杭しか残っていないので、公園に丸い椅子が正確な幅で並んでいるようにも見えました。全国の国分尼寺で最初に整備が行われた貴重な史跡だそうです。
はる/40代/女性/宇都宮
天平の丘公園の入り口にあり、車もとても止めやすく見やすかったです。淡墨桜がすぐ近くにあるので開花時期に合わせて行くとなお一層趣深いですよね。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
かつての建物があった場所に磁石が復元されています。立派な建物があったんでしょうね~。こちらは天平の丘公園の一角に整備されており、公園内には県立のしもつけ風土記の丘資料館や埋蔵文化財センターが所在するなど、古代下野国の歴史を学習するのには、最適の場所ですね~。また、周辺には桜やツツジが植えられ、春には淡墨桜・八重桜が咲き誇るのも楽しみです。
ななっち/50代/女性/小山
案内板を見ると、お隣の国分寺と同じ東大寺様式で、塔は無く小さく出来ていたようですが、礎石の大きさや配置を見ると、それでもかなり大きな建物だと想像できます。見渡す範囲では収まらない規模だったようです。すぐ横に淡墨桜もあり、春は美しい風景になりますね。
みおみお/30代/女性/宇都宮
下野国分寺跡から600mほど東へある史跡です。国分寺に比べると、こじんまりとした敷地で、尼僧が10人ほどがおかれたそうです。女性のみが暮らす尼僧の佇まいだったのかな?とか、いろいろと想像してしまいました。