東根供養塔は、つくられた年代の記されている宝塔(ほうとう)としては、栃木県内でもっとも古いもので、関東地方でも代表すべき宝塔のひとつです。この塔は凝灰岩製(ぎょうかいがんせい)で、一部読めない部分もありますが、20行にわたって文章が書かれています。それによると、鎌倉時代(かまくらじだい)初めころの文久元年(ぶんきゅうがんねん・1204年)に、この付近に住んでいた佐伯伴行(さえきともゆき)という人物が、妻とともに両親の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うことを思いつき、当時としては大がかりな石碑(せきひ)を建てたことがわかります。佐伯氏(さえきし)は、当時この付近に勢力(せいりょく)のあった小山氏(おやまし)とのつながりがあると考えられています。また文中には、この塔をつくった工人(こうじん)の名が記されていますが、帰化人(きかじん)の子孫(しそん)の工人と考えられます。