天平の丘公園内にある、紫式部(むらさきしきぶ)の墓(はか)との伝承(でんしょう)をもつ凝灰岩製(ぎょうかいがんせい)の大型の五輪塔です。鎌倉時代後期以降(かまくらじだいこうきいこう)のものと考えられますが、つくられた年代は不明です。なお、紫式部の墓といわれるのは、所在地が紫地区であるためと考えられます。ちなみに、この紫地区はもともと村崎(むらさき)と表記(ひょうき)されていたものが変化したものです。地元の言い伝えによると、姿川の近くにあったものを現在地に移したものということです。