天平の丘公園内にある、紫式部(むらさきしきぶ)の墓(はか)との伝承(でんしょう)をもつ凝灰岩製(ぎょうかいがんせい)の大型の五輪塔です。鎌倉時代後期以降(かまくらじだいこうきいこう)のものと考えられますが、つくられた年代は不明です。なお、紫式部の墓といわれるのは、所在地が紫地区であるためと考えられます。ちなみに、この紫地区はもともと村崎(むらさき)と表記(ひょうき)されていたものが変化したものです。地元の言い伝えによると、姿川の近くにあったものを現在地に移したものということです。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
この五輪の塔は鎌倉時代の様式で、この地方の豪族が供養塔として建立したものといわれています。
姿川沿いにあったものを、洪水で流されないようにこの場所に移され、所在地が紫の地名から、紫式部の墓の伝説がうまれたそうです。天平の丘公園の奥にあり、公園の駐車場が利用できます。
さくら/40代/女性/宇都宮
広大な天平の丘公園の南端あたりにあります。公園の中の歩道を注意深く歩いていると見つけることができます。鎌倉時代のものと推定され、この辺りの地名から源氏物語者の紫式部の墓と伝えられているそうです。
ノア/40代/女性/宇都宮
鎌倉時代の供養塔で、明治初期にこの場所に移されたそうです。土地の名前『紫』から紫式部の墓と呼ばれているのですね。本物のお墓は、京都にあるようです。天平の丘公園アスレチックや散策コースなど、それぞれのエリアに特徴があって楽しめそうです。
ぴかりん/40代/女性/日光
天平の丘公園内にあり、ひっそりと佇んでいました。この五輪塔は鎌倉時代の様式で、この地方の豪族が供養塔として建てたものといわれています。明治初期に姿川の河畔からこの場所「紫」に移されたことで、紫式部の墓だといわれています。五輪塔の辺りは落ち着いた空気が流れていて伝説を考えながら、しばし見入ってしまいました。
はる/40代/女性/宇都宮
「伝紫式部の墓」とされていて、なぜこんなところにかの有名な紫式部が?と思ったら、地名から由来してのことだったのですね。こんなに大きな石をどうやって積み上げるのか…。しみじみと考えてしまいました。
まめっち/40代/女性/市貝
天平の丘公園内にありました。五輪塔は、鎌倉時代の供養塔の様式で、紫という地名から紫式部の墓と言われているそうです。3基のうち1基が壊れてしまっていました。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
なぜ紫式部の墓が下野に…?と疑問に思ったら、この付近の地名が紫という名前から紫式部の墓の伝説となったのですね。この五輪塔は鎌倉時代の様式で、この地方の豪族の供養塔として建てられたようです。
ななっち/50代/女性/小山
紫式部の墓とも伝えられているようで、興味津々で伺いましたが、この辺りが「紫」(むらさき)と呼ぶ地名であることで、いつの日からか紫式部のお墓と云われるようになったようですね。元は姿川川岸にあったものを洪水を避けるためにこちらに移転したとか。鎌倉時代のものですから、塔には歴史が深く刻まれている様子は伺えます。
みおみお/30代/女性/宇都宮
天平の丘公園の中、「紫式部の墓」という看板を目印にたどりついた、ひっそりした場所にある塔です。鎌倉時代の様式らしく、ぽってりと丸みをおびた形に愛らしささえ感じました。紫という地名があったことから紫式部の墓では?と言われるようになったそうです。もし本当なら、どのような流れでここにたどり着いたのかと思うと歴史的なロマンがありますね。