箕輪城は姿川(すがたがわ)を見下ろす台地の石橋・小山方面への見通しのよい場所にあります。城の大きさは、南北約400m、東西約150mで、現在でも堀(ほり)や土塁(どるい)が残っています。城がつくられた時期については、室町時代の寛正(かんしょう)3年(1462)に当時国分寺一帯の領主(りょうしゅ)であった小山高朝(おやまたかとも)によるという説(せつ)があります。廃城(はいじょう)についても確実(かくじつ)なことはわかりませんが、戦国時代の永禄(えいろく)元年(1558)5月初めごろといわれ、この地域では5月の節句(せっく)に鯉のぼりをあげない習慣(しゅうかん)がありました。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
案内板があり分かりやすいです。城があった形跡は、お堀の跡らしきものから想像できます。
箕輪城の落城が5月ということから、この地方では5月の節句には鯉のぼりをあげない習慣があるそうです。
さくら/40代/女性/宇都宮
姿川に架かるみのわ橋を渡った所に道標があり、そこから案内版通りに進んでいくと高台に上がる石段に突き当たるので、そこを上がると城跡の入り口です。城跡は、高台にあり、郭・土塁・空堀の跡も感じられました。
ノア/40代/女性/宇都宮
姿川近くの、のどかな田園地帯に案内板があり、進んで行くと小高い山があります。ちょっと急な階段を上り、神社の奥の竹やぶがお城の跡のようで堀や土塁の跡がわかります。年数などは不明ですが、小山氏により築城されたそうです。かなり視界が開けているので見晴らしも良く、お城にはもってこいの土地ですね。
はる/40代/女性/宇都宮
1.5KM、1KM、0.5KM手前にある方向指示の案内板に沿って行くと、突き当たりに入口がありました。階段を登ると先に進もうとする者を阻むようにしめ縄が張られています。川の流れた跡のようなところがお堀だったのでしょうか?箕輪城の落城が5月だったことから、この地域ではこいのぼりを上げない風習があるということを初めて知りました。
ぴかりん/40代/女性/日光
関東ふれあいの道という標識の通りに歩いて行きました。長い階段を登りたどり着きまして、土塁の跡を見ました。箕輪城は寛正3年(1462)に築かれたといわれています。落城したのは、永禄元年5月初めの頃だったそうで、そのためこの地区は鯉のぼりを上げない習慣があると書いてありました。とても悲しい歴史ですね。
まめっち/40代/女性/市貝
県道183号線沿いに入口の看板がありました。看板の方向に進んで行くと、更に看板があり、階段を上った神社の奥に箕輪城跡がありました。5月に落城したので、この地区では5月に鯉のぼりを上げない習慣があるそうです。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
高台で少し寂しげな林の中にありました。広さは広大で、城の規模自体も結構大きなものだったのではと思います。掘や土塁は迫力がありました。
ななっち/50代/女性/小山
自治医大から壬生に向かう道から、数百m住宅地を横に見ながら入っていくと、石段があり、恐る恐る登っていくと、磐裂根裂神社のお社がありますがここが回字形の城跡と何となくわかりました。少々歩いてみると、堀の跡も見られます。中心部では椎茸栽培もしていて今後はしっかり保存してほしいと思いました。
みおみお/30代/女性/宇都宮
1462年秋頃に築かれた城の跡だそうで、土塁跡が残っており、城を守るためにお堀の必須だったことがうかがいしれます。周囲はまったくの平坦な土地なので、少し山になった地に建てられたお城からの眺めは爽快だったでしょうね。