この梵鐘(ぼんしょう)は、江戸時代の宝暦(あんせい)8年(1758)につくられたと考えられるものです。かつては源頼朝(みなもとのよりとも)が寄付(きふ)をしたものでしたが、宇都宮城内(うつのみやじょうない)に移されたため、作り直したということです。
また、太平洋戦争(たいへいようせんそう)中には、金属類(きんぞくるい)の供出(きょうしゅつ)の対象となりましたが、調査の結果、梵鐘の上部にある梵字(ぼんじ)がとてもめずらしく、鐘(かね)の音もすぐれていたため寺にのこされたということです。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
開雲寺は江戸時代、将軍の日光参拝の際の御殿所となった格式ある寺院。他にも葵の紋入りの湯釜、家光の書、家光手植えの槙などがあります。この梵鐘は音色がいいという理由で、太平洋戦争当時の金属提出を免れたという逸話があるそうです。
さくら/40代/女性/宇都宮
JR石橋駅近くの開雲寺の中にあります。梵鐘の上部には通常、突起状の模様があるのですが、この鐘にはその部分に文字のようなものが描かれていてとても珍しいなって思いました。この鐘は、音色がとてもいいそうです。どんな音色なのかぜひ、聞いてみたいなぁって思いました。
ノア/40代/女性/宇都宮
JR石橋駅のすぐ近く、開雲寺の境内にある鐘で、装飾の乳(突起)が無い珍しいものだそうです。長い年月使われてきた重みのある音がするのでしょうか…このお寺は、江戸時代は将軍家の日光参拝道中の休憩所として、明治時代には栃木県の仮庁舎として、重要な役割のあったところだそうです。駐車場横の碑の葵のご紋が印象的でした。
ぴかりん/40代/女性/日光
781年に開山された開運寺は江戸時代、徳川将軍家の日光参拝の途中の休憩所でした。そんな由緒のあるお寺の梵鐘です。つりがねは黒っぽくて歴史を感じる趣があり、とても素敵でした。ゴーンという鐘の音で癒されそうです。
まめっち/40代/女性/市貝
開雲寺の境内をすすんでいくと、奥の方に梵鎮がありました。住宅街の入り組んだ細い道を通るので、車で行かれる方は運転に気を付けて下さい。
はる/40代/女性/宇都宮
何か違和感を感じると思ったら、よく鐘の上部に見受けられるたくさんの突起がないのですね!その珍しさのため金属不足の戦時中にあっても徴収を免れたのだとか。貴重なものが失われずに本当によかったと改めて思いました。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
開雲寺にあるこちらは、宝暦8年の作。乳がないという珍しい形のため、第二次世界大戦中の供出を免れ届出とともに文化財に指定されているそうです。スッキリと突起状の装飾を付けない鐘であったのが印象的です。
ななっち/50代/女性/小山
日光廟造営後、徳川将軍家の日光東照宮参拝道中の休泊所となったところ。さらに明治になると、真岡県・日光県等が統合され栃木県となるまでの約4年間、こちらに仮庁舎がおかれたり、明治天皇の奥羽御巡幸の折には御休憩となるなど、大変重要なお寺であったようです。その歴史の中で、こちらの見事な梵鐘は、第二次世界大戦中にも供出されずにすんだと聞きました。この地域の歴史の生き証人のようにも思えました。
みおみお/30代/女性/宇都宮
宝暦8年(1758年)に作られたもので、「乳」という突起状の装飾はついてない形が珍しく、第二次世界大戦中に金属確保のため供出された鐘が多い中、文化財指定となり難を逃れたそうです。装飾がシンプルですっきりとしたデザインが印象的な鐘でした。