この俳諧碑(はいかいひ)は、江戸時代の文化(ぶんか)4年(1807)につくられたもので、小金井宿(こがねいじゅく)の蔵田屋(くらたや)の跡地(あとち)にあります。碑(ひ)の片面には慈眼寺(じげんじ)30世住職(じゅうしょく)宜照(ぎしょう)による句が刻(きざ)まれています。もう片面には江戸の俳諧談林(はいかいだんりん)7世の谷素外(たにそがい)の句と、地元の12人による句が刻まれています。この碑から、小金井宿には俳諧を行う人々の集まりがあって、慈眼寺の住職を中心にたびたび集会が開かれていたことをうかがい知ることができます。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
文化4年(1807年)小金井宿蔵田屋の敷地内に建てられた俳諧の句碑です。この句碑は、江戸時代後期の小金井宿において文学活動がさかんにおこなわれていたことを今に伝えています。
さくら/40代/女性/宇都宮
国道4号線を脇に少し入った住宅街の中に立っています。そこは、江戸時代後期、小金井宿という宿場の旅籠の屋敷があった場所だそうです。当時、庶民の間でも句を詠んだり、句会をするようになり、特にこの小金井宿は、盛んだったようです。碑には、12人の句が刻まれていて、現在のサークル活動のようなことが行われていたのでしょうか。なんだか文化的な香りが漂ってきます。
ノア/40代/女性/宇都宮
国道4号線沿いの小さな公園の一角に立つ句碑です。周りは住宅街、国道を挟んで金井神社が正面にありました。慈眼寺住職の句と地元の俳人たちによる月を題にした句が刻まれています。ここは江戸時代宿場町として栄えた小金井宿の旅籠蔵田屋があった場所だそうですが、当時の面影を残す商店などあって、歴史を感じます。
ぴかりん/40代/女性/日光
住宅街近くの小さな公園内にあります。文化4年(1807)、小金井宿蔵田屋(大越家)の敷地内に建てられたものです。句碑には当時の俳人の発句が刻まれており、江戸時代後期の小金井宿において文学活動がさかんだったことを物語っています。公園で遊ぶ子どもたちに、文学の素晴らしさを教えてくれているようです。
はる/40代/女性/宇都宮
国道4号線を挟んで金井神社前にある児童公園の中にあり、生け垣に囲まれていたのでうっかりすると見落としてしまいそうなたたずまいでした。発見には注意が必要です。
まめっち/40代/女性/市貝
小金井宿倉田家の敷地に建てられた句碑だそうです。現在は住宅街の公園の一角に説明版と建っていたので、不思議な感じがしました。碑には、小金井宿の俳人12人の発句が掘られているそうです。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
小さな公園の一角にありました。碑の一面には慈眼寺三十世住職である宜照の四季の発句と、当時江戸談林俳諧の頂点にあった谷素外の発句の下に小金井宿の俳人12人の発句が刻まれています。こうして俳諧碑を残すほど、江戸時代後期の小金井宿では文学活動が盛んだったのだなぁと感じました。
ななっち/50代/女性/小山
江戸時代小金井宿でも俳諧をするグループがあったことがこの碑から分かります。碑には、慈眼寺職宜照、嘯月庵露水、谷素外の句、さらに同好12人の句も刻まれているそうです。これが蔵田屋跡地に建立されていることから、蔵田屋がこれらの人々の活動の場所であるとともに、江戸から離れた小金井宿でも俳諧が盛んだったんだということが分かりました。
みおみお/30代/女性/宇都宮
国道4号線沿いの小さな公園の一角に設置されている石碑です。江戸時代後期に小金井宿にいたという俳人たちなどの発句が14句刻まれているそうで、俳句が歌われている内容は理解できなかったのですが、この地で俳句を読みあい文学的交流をはかっていた俳人たちが多くいたのだろうな、とつい想像してしまう碑です。