奈良時代(ならじだい)には、疫病(えきびょう)や飢饉(ききん)が発生して社会が不安定となりました。そのために、仏教(ぶっきょう)の鎮護国家(ちんごこっか・仏教の力によって社会を安定させる)の考え方によって社会の不安をおさめようとして、聖武天皇(しょうむてんのう)がだした国分寺建立(こんりゅう)の詔(みことのり)により全国60数か所に建てられた国立のお寺の一つが下野国分寺です。正式な名前を「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、僧(お坊さん)20人がおかれていました。