川中子(かわなご)の八幡宮(はちまんぐう)は、もともと個人のものだったものが明治5年に村社(そんしゃ・村の神社)となり、八幡宮と改称(かいしょう)して村の鎮守(ちんじゅ)となったものです。
現在の本殿(ほんでん)は、もともと大正5年に富田宿(とみたじゅく・現栃木市大平町)の八坂神社(やさかじんじゃ)のもので、つくられたのは江戸時代の天保(てんぽう)7年(1836)と考えられます。本殿(ほんでん)は一間社流造(いっけんしゃながれづく)りといわれるつくりで、彫刻(ちょうこく)は少なめですが、関東各地(かんとうかくち)で活躍(かつやく)した磯辺儀佐衛門信秀(いそべぎざえもんのぶひで)またはその一門(いちもん)のものと考えられます。