下野薬師寺は、大和川原寺系の軒先瓦が出土することなどから、7世紀末に創建されたと考えられています。創建の理由は不明ですが、その背景には、大宝律令の選定に参加し、式部卿正四位下で卒した下毛野朝臣古麻呂(しもつけぬのあそんこまろ)の強い関与を想定することができます。天平年間には国の機関である「下野薬師寺造寺司」が設置され、749年に筑紫観世音寺と共に500町の墾田が認められるなど、寺の造営が国家事業として進められていたことがわかります。
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