下野市の概要
下野市は、関東平野の北部、栃木県の中南部に位置し、都心から約85km圏にあり、首都圏の一端を構成しています。南北約15.2km、東西約11.5kmで、北は県都宇都宮市、南は小山市、東は真岡市(旧二宮町)と上三川町、西は栃木市と壬生町に接し、面積は74.58平方キロメートルです。
東に鬼怒川と田川、西に思川と姿川が流れる高低差のあまりない、古来より開けた平坦で安定した自然災害の少ない地域です。 JR宇都宮線の自治医大駅を中心にニュータウンによる新市街地が拡がり、日光街道沿いの小金井や石橋の旧宿場町とその周辺部の田園地帯とともに下野市を形成しています。
気候は、年平均気温が約14℃、年平均降水量が約1,300mm、夏は高温多湿、冬は低温乾燥のやや内陸性を帯びた温暖な気候で、積雪はほとんどなく雷が比較的多いという特徴があります。
下野市の成り立ち
下野市内には、旧石器時代から先人が生活した痕跡があり、6~7世紀の古墳時代には有力な豪族が現れ、大型の古墳が築造されました。天武天皇の白鳳時代には日本三戒壇の一つである下野薬師寺が建立されたほか、8世紀には聖武天皇の詔により下野国分寺・国分尼寺が建立され、古代の下野国の中心地として栄えました。江戸時代には五街道のひとつである日光街道の宿場町(小金井宿・石橋宿)を軸として繁栄し、明治以降の国鉄整備に引き継がれ、物流の要衝として発展してきました。
その後、南河内町(昭和30年4月に吉田村と薬師寺村が合併し南河内村となり、昭和46年4月町制施行により南河内町)・石橋町(昭和29年11月に姿村と合併して石橋町)・国分寺町(昭和29年4月に町制施行により国分寺村から国分寺町)が、平成18年1月18日に合併し『下野市』となり現在に至っています。
下野市の文化財
以上のことから下野市内には数多くの文化財が残されています。特に古墳時代から平安時代にかけては、大型古墳をはじめとした古墳が多く造られたほか、下野薬師寺・下野国分寺・国分尼寺などの寺院が建立されるなど、史跡が多く残されています。また、中世には宇都宮氏と小山氏の勢力の境目にあたることから、児山城をはじめとした城館も数多く造られました。江戸時代以降は、五街道のひとつである日光街道ほか関宿通多功道が通るなど、交通の要衝として発展したほか、徳川将軍の日光社参の際にも休息所が設けられたことから、近世の文化財も多く見ることができます。