三王山南塚2号墳は、栃木県内最古級の前方後方墳です。墳長50mで前方部を南に向けていて、周溝の形・深さは不定形です。埋葬施設は壊されていることから不明です。弥生時代の終わり頃の住居を壊して造っていることから、弥生土器も多数見つかっています。口縁部と肩部に縄文のある折り返し口縁の大型壺や高坏が出土しています。
三王山南塚1号墳は、2号墳に続いて造られた前方後方墳です。墳長が46.5m、前方部を南に向けていて、周溝の形は不定形です。埋葬施設は盗掘などにより壊されているため不明です。発掘調査により二重口縁壺が出土しているほか、単口縁の壺もあわせると少なくとも十数個体の壺が見つかっています
三王山古墳群は田川東岸の台地上に立地しています。古墳の総数は現在わかっているだけで60基を超え、隣接する星宮神社古墳群も加えると、7つの支群が南北に延びる台地に沿って広がっています。時期のわかる古墳はほとんどが古墳時代後期のもので、古墳時代前期の古墳は、古墳群南端にある三王山南塚1・2号墳の2基の前方後方墳と、そのすぐ北側の朝日観音遺跡1号墳(1辺15mの方墳)の3基のみです。この台地の南端部では、弥生時代後期の竪穴建物や小規模方墳が古墳と重なり合って造られていることがわかっていて、弥生から古墳時代前期にかけて、連綿と土地が利用されたことを物語っています。
3基の古墳は、三王山南塚2号墳→三王山南塚1号墳→朝日観音遺跡1号墳の順で造られていて、南塚2号墳は栃木県内でも最も古い時期の古墳のひとつと考えられています。古墳は古墳時代中期になると古墳は造られなくなりますが、後期になると数多くの古墳が造られるようになりました。