別処山古墳は、市内絹板地区の舌状台地の南端部に立地しています。昭和60年~61年にかけて行われた別処山運動公園造成工事の際に、発掘調査が行われ全長約37mの前方部を西に向けた前方後円墳であることが判明しました。主体部は後円部のほぼ中央から、南に開口した河原石小口積の片袖型横穴式石室が確認されています。石室内からは、壮年期の男性の人骨破片(個体数は不明)や大刀をはじめとした遺物が出土しました。
出土遺物の詳細は、銀装円頭大刀1振、三鈴鏡1面、銅地金銅張耳輪2点、錫製耳輪1点、鉄鏃9本、刀子2点の合計16点です。これらの遺物は、一括して栃木県指定文化財となっています。
大刀は、随所に精巧で高度な技術による銀板・銀線を使用した装飾がなされています。儀仗刀と考えられますが、県内には他に出土例がありません。銀を多用した把の装飾や、制作の技法などから朝鮮半島系渡来人の工芸技術が想定されます。
三鈴鏡は面径6.7~7.0cmで、重さ86.2g、鈴と鈴の間には半円形の鈕状のものが3個付き、鏡背は無文です。他に出土例がないことから、制作年代は不明です。
鉄鏃はいずれも片丸造りの鏃身で、関は撥形に広がる台形をしています。この形式は6世紀前半に盛行するものです。
耳環は石室奥壁近くから1点と、石室東壁付近から2点出土しています。前者の耳環は、細身の錫製で腐食が激しく表面が白化していますが、6世紀前半の古墳から多く出土しています。後者の一対の耳環は、銅芯に鍍金をした銀板を巻いた金環で、断面がほぼ正円で太く、6世紀後半の特徴を備えています。
刀子は、刃部長6.4cmで鞘が木質、把が鹿角のものと、刃部長9cmで鞘と把ともに木製のものの2点です。
以上が別処山古墳石室内出土の遺物ですが、特に銀装円頭大刀は、銀を多用しているうえに、把頭に鈴を納めるなど、優れた装飾性と高い技術力によって作成されており、古墳の所在する地域やその規模に比べて特異な副葬品の感が否めません。すなわちこの古墳の被葬者が、下毛野地域はもとより大和王権との関係においても、相応な政治的地位や役割を有していたことをうかがうことができます。
▲三鈴鏡
▲耳環
▲大刀
▲大刀柄頭