下野市の文化財

  • 児山城跡
    こやまじょうあと
  • 文化財の種類
  • 史跡
  • 文化財指定団体
  • 文化財が造られた時代
  • 鎌倉・室町・安土桃山時代
  • 文化財の所在
  • 下野市下古山957
  • 概要
  •  児山城は、多功城・上三川城とともに宇都宮城の南方を守るために築かれた城です。今から約700年前の鎌倉時代の終わりごろに、宇都宮頼綱の四男多功宗朝の次男(又は三男)朝定が築城したと伝えられます。
     城は姿川東岸の台地上に築かれていて、本丸を中心として堀や土塁が良好に残されています。本丸の東には児山氏始祖・児山朝定開基と伝えられる華蔵寺があります。

文化財の詳細情報

本丸は、東西77m、南北87mの方形で、土塁の四隅には本丸平坦面からの高さが3~4mの櫓跡があります。最も高いのが南東の隅櫓跡で、高さが4mほどあります。また、本丸の堀の幅が20m程度あることから、鉄砲を意識したものと考えられます。この外側にも堀があり、かつてはよく残されていましたが、現在は部分的に残されるのみとなっています。
児山城の規模は正確にはわかりませんが、本丸の周辺に部分的に残存する土塁や堀、西城・中城・北城・稲荷城などの小字名などから、北は星宮神社から南は石橋病院付近までの、かなりの規模をもつ城であったと考えられます。
児山城は、築城以来宇都宮氏の南方の拠点として今から約400年前の慶長年間まで存続し、宇都宮氏の改易とともに廃城となったと考えられます。

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