宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼経」を納める塔で、鎌倉~南北朝時代にかけて盛んに建てられました。この黄梅寺の宝篋印塔は、享保20年(1735)に造立されたもので、塔身部四面に金剛界の四仏が梵字で、基壇上の基礎四面には2字ずつ八大菩薩種子が彫られているほか、蓮華の請花上部2段目の基礎四面に銘文が刻まれています。笠部は重厚で外方に反り返っており、相輪部は請花と宝珠からなる九輪です。銘文の中に「享保20年星紀乙卯仲春鬼宿日」(1735年)とあり、江戸時代の特徴をよくとどめた大型(高さ4.7m)の宝篋印塔です。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
宝篋印塔とは「宝篋印陀羅尼経」を納めた供養塔のことをいい、この塔は4.7m、町内最大のもの。塔身部四面に金剛界の四仏が梵字できざまれています。
さくら/40代/女性/宇都宮
黄梅寺跡にあります。土を高く盛られた土台の上に高さ4.7メートルの塔が立っていて、下から見上げると一層立派に見えます。塔に着いた黒っぽい苔も風格が増して見える一因のようです。
ノア/40代/女性/宇都宮
県道35号と44号線の本吉田交差点近くの民家の間の路地奥の空き地にありました。車だと通り過ぎてしまいそうです。階段がつい手少し高くなっている上に、塔自体も高さがあるので、とても立派に見えます。
ぴかりん/40代/女性/日光
宝篋印陀羅尼経というお経を納めた供養塔で、享保20年(1735)に建てられたものです。高さは4.7メートルもあり、最も上の相輪とよばれる部分がすーっと伸びてとても立派な塔でした。宝篋印塔はもともとは密教系の石塔だったようですが、鎌倉時代以降は宗派を超えて造られるようになったそうです。小高い場所に悠々と建っていて貫禄がありました。
はる/40代/女性/宇都宮
黄梅寺の跡地にあります。地域で一番大きな塔だということでしたのですぐ見つかるかと思いましたがお寺の、しかも跡地のため目印なしの旗地の奥にあるという、車で走りながら見つけるには少し難しい条件だったように思いました。
まめっち/40代/女性/市貝
本吉田交差点近くの細い路地の奥にありました。黄梅寺の跡地にどうどうと建っています。下野市の宝篋印塔では最古のものだそうです。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
黄梅寺跡地にある宝篋印塔を訪れました。宝篋印陀羅尼経を納めた供養塔で、少し小高い所に建っています。総高4.7mということで、とても大きく立派なものでした。
ななっち/50代/女性/小山
空き地の中の小高いところに建っていました。意外にも大きいので驚きました。またかさの部分が反り返り、形的にも美しいと感じました。時代や地域によっても宝篋印塔の形は様々なようです。いろいろと比較してみるのもいいですね。
みおみお/30代/女性/宇都宮
県道35号線本吉田交差点近くの本吉田南公民館すぐそばにありました。道路拡張工事などで移転されて今の場所にあるのでしょうか。高台にあったため、上の笠部がひときわ大きく感じられました。上部だけではなく基壇側面にも菩薩さまが彫られていて、供養塔に対する当時の人々の思いが伝わってくるようでした。