下野市の文化財

  • 小金井一里塚
    こがねいいちりづか
  • 文化財の種類
  • 史跡
  • 文化財指定団体
  • 文化財が造られた時代
  • 江戸時代
  • 文化財の所在
  • 下野市小金井4-23-12
  • 概要
  •  一里塚は、徳川家康が慶長9年(1604)に江戸日本橋を起点に、東海道・中山道及び北陸道につくらせ、後に全国に広まったといわれます。道程の目印として1里(約4キロメートル)ごとに塚を築き、榎や松を植えたもので、『官本当代記』によると、「一里塚五間四方也」とあり、一辺約9mの方形に築かれていたとされています。

文化財の詳細情報

発掘調査の状況

▲発掘調査の状況

小金井一里塚は、江戸時代の五街道のひとつである日光街道沿いにつくられ、江戸(東京)日本橋から22里(約88キロメートル)の地点にあります。二つの塚がほぼ完存していることなどから、日光道中で唯一国指定史跡に指定されています。長年風雨にさらされたため、形が崩れて円形化していますが、現状で1辺約12mの大きさで、つくられた当時は方形であったことが、測量調査でわかりました。平成9年度には発掘調査が実施され、旧日光街道の3時期の砂利敷道路とその側溝が発見され、紐に通された寛永通宝(50枚)や陶磁器(茶碗など)の破片がみつかりました。
 江戸時代の終わりころの記録によると、小金井一里塚の東側の塚には松、西側の塚には杉が植えられていたことが分かりますが、現在は東側が榎(えのき)、西側に榎と椚(くぬぎ)が植えられています。

 

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