箕輪城は市内箕輪の姿川西岸の河岸段丘上に所在します。城の築かれた年代や城主については、文献史料等に記述がないため不明ですが、一説によると寛正3年(1462)に当時国分寺一帯の領主であった小山高朝によって築城されたといわれています。また他に、壬生胤業による築城とも伝えられますが、これは後に箕輪城が壬生氏の出城として使われたためではないかと考えられます。廃城についても定かではありませんが、永禄元年(1558)5月初めごろといわれ、この地域では5月の節句に鯉のぼりをあげない習慣がありました。
城跡は姿川との比高が約9m、石橋・小山方面への見通しが良い場所に、南北に連なるように二つの曲輪跡が残されています。北側の曲輪には現在、雑木林の中にひっそりと岩裂根裂神社が鎮座しています。曲輪の周囲はコの字形の堀と土塁に囲まれ、崖際の遊歩道に沿って南方の土橋を渡ると、南側の曲輪へ通じています。北と南の曲輪を合わせると、城の規模は南北約400m、東西約150mになります。