下野市の文化財
文化財の詳細情報
▲御鷲山古墳石室
▲御鷲山古墳出土辻金具
この古墳は、墳丘の発掘調査を実施していないため、大きさ等が正確にはわかりませんが、測量調査から、墳丘一段目の全長約74m、後円部径43m、前方部の先端幅が42m、二段目は全長63m、後円部径が28m、一段目からの高さが5m、前方部幅が24mと考えられます。墳丘一段目と二段目の間には平坦面がみられ、当時のこの地域の特色である基壇をもつ古墳であることがわかります。
主体部は凝灰岩切石積みの両袖型横穴式石室で、全長は12mです。横穴式石室は玄室・前室・羨道部で構成される複室構造で、羨道の前には墓道がつけられています。石室内は盗掘を受けており、玄門と羨道は壊されています。石室の内部からは鉄鏃・小札(挂甲の部品)・馬具が出土しています。いずれも元の位置ではなく、追葬の際に外に出されたものと考えられます。また、墳丘からは円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪も確認されていますがいずれも本来の位置がわかる資料はありません。
御鷲山古墳は、下野薬師寺の寺域の北側に接して造られていることから薬師寺に深く関係し、大宝律令の選定に関与した下野朝臣古麻呂の墓とも考えられたこともありました。しかし、古墳の造られた年代と古麻呂の活躍した年代が違うことから、古麻呂の墓とは考えられません。しかし、薬師寺地区は下野氏の本拠と考えられる地域であることから、古麻呂の一族の墓である可能性は否定できません。