下野市の文化財

  • 金井神社本殿
    かないじんじゃほんでん
  • 文化財の種類
  • 建造物
  • 文化財指定団体
  • 文化財が造られた時代
  • 江戸時代
  • 文化財の所在
  • 下野市小金井1-26-16
  • 概要
  •  金井神社は、近世は小金井宿の鎮守で、北辰社あるいは北辰宮とよばれ、慈眼寺が別当をつとめていました。昔は虚空蔵と称し、現在地よりも西の字余又というところにありましたが、宝暦四年(1745)に遷座し北辰社となり、のちに星宮神社と称し、明治5年(1872)に金井神社と改称したといわれます。県内でも数多くみられる虚空蔵信仰を発端とする星宮信仰とかかわりの深い社で、磐裂・根裂神を祭神としています。

文化財の詳細情報

金井神社本殿彫刻

▲金井神社本殿彫刻

 本殿は一間社三方入母屋造りという建築様式を伝え、壁面の全面に壮麗な彫刻がほどこされています。この彫刻の制作年代は不明ですが、天保期から嘉永期(1830~1850年代)にかけてのものと推定されます。作者は富田宿(栃木市大平町)を本拠地とする磯部氏系統の彫刻師であると考えられています。本殿は欅を用いた素木造で彩色はありません。屋根は栩葺きで、壁面には当時の人々の名前が刻まれており、両側には彫刻の施された脇障子がついています。この本殿において注目されるのは、彫刻の各部分に寄進者と思われる人物の名が数多く刻まれているという点です。寄進者の内訳をみると、現在、人名が確認できる39人のうち、夫婦あるいは家族の連名を除く26人は女性が単独で名を連ねています。それらは屋号となっているものが多く、本殿彫刻の寄進者の多くは、小金井宿の商家や旅籠の女性であることが考えられます。

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