この石碑は、寛政10年(1798)に薬師寺村と三王山村の人々によって建立された、自然石に陰刻された文字塔です。道標もかねており「右、於さく道 左、小金井道」と記されています。この付近には古代の幹線道路東山道が小金井方面より通過していたと思われ、ほぼ造立された当初の位置で道標を兼ねそなえた月待塔として地域住民に広く信仰されていました。なお右「於さく道」とは、鹿沼市にある石裂山への道しるべで、石裂山信仰が当時この地域付近で盛んに信仰されていたことが伺われます。
18世紀の後半から昭和の初期にかけて、日本の各地で「講」を組織した人々が集まって、月を信仰の対象として精進・勤行し、飲食を共にしながら月の出を待つ、月待ちの行事をしました。その際供養のしるしとして建てた石碑(月待塔)のひとつが二十三夜塔です。二十三夜は勢至菩薩を本尊として祀りました。勢至菩薩は、智慧の光をもっており、あらゆるものを照らし、すべての苦しみを離れ、衆生に限りない力を得させる菩薩といわれています。月は勢至菩薩の化身であると信じられていたことから、二十三夜講が最も一般的で全国に広まりました。