下野国分寺跡は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立の寺院のひとつです。伽藍(寺の建物)配置は、全国の総国分寺である奈良の東大寺と同じ形式(東大寺式)で、南北一直線上に南から、南大門、中門、金堂、講堂が並び、中門と金堂は回廊によってつながれています。塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔であったと推定されています。また、金堂・講堂を挟んで東西には鐘楼、経蔵が置かれています。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
奈良時代、聖武天皇の命令によって全国60数カ所に建てられた国立の寺院のひとつで、寺の建物の配置は、奈良の東大寺を同じ形式だそうです。これまでの発掘調査から寺院地の規模が、東西413m南北457mの広大なものとのこと。
さくら/40代/女性/宇都宮
ここは、「天平の丘公園」の北西にあります。今は、発掘調査中なのかただの広場のようにみえますが、ところどころに「講堂」「金堂」「中門」などというブロック杭が建っていました。調査では、大量の瓦なども出てきたそうです。発掘調査がさらに進み、更には建物などが復元されるといいなって思います。
ノア/40代/女性/宇都宮
奈良時代、聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分寺のうちの一つです。奈良の東大寺と同じ造りだったと考えられ、7重の塔があったとされています。しもつけ風土の丘資料館で、跡地からの出土品や復元模型も見ることができます。かなり広い場所で、現在は講堂らしき場所に柱の礎が並んでいるだけですが、整備している工事中だったので、完成が楽しみです。
ぴかりん/40代/女性/日光
下野国分寺は、奈良時代の天平13年(741)に建てられた国立寺院でした。遺構からみて、建物の配置は奈良の東大寺の様式を基本としており、外には壮大な七重塔があったとされています。今は整備中ですが、整備が終わるのが楽しみですね。
まめっち/40代/女性/市貝
細い道を進んでいくと、案内の看板が出ていたので、無事たどり着きました。復元工事中で近くまで行けませんでしたが、案内板で、どんな作りだったかよく分かりました。
はる/40代/女性/宇都宮
私が行ったときはまだ整備中でした。南側の道路に面したあたりの地面が赤く塗られていて、もしかして建立当時の色彩を再現する一部なのかな、とワクワクしてしまいました。どんな風に整備されるのか、期待に胸を膨らませています!澄み渡った北方の空に浮かび上がる、青い男体山とのコントラストがきっとステキですね。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
下野国分寺跡を訪れました。現在整備中ですが、仏教文化発信の中心地としての七堂伽藍・土塁の遺構が残る史跡公園として、その存在感は大きいなと感じました。
ななっち/50代/女性/小山
奈良時代に建てられた国分寺。いくつかの堂塔跡が残っているようですが、現在復元工事中で残念ながら確認は出来ませんでした。伽藍の規模も大きいようで、また壮大な七重塔もあったようなので、修復工事の完成が待たれますね。
みおみお/30代/女性/宇都宮
国指定の文化財として、現在発掘調査が進められている史跡だそうです。伽藍配置は、東大寺式といわれるものだそうで、回廊の外にあった塔は60mを超える七重塔だったのでは?とも推定されているそうです。発掘が進み、全容が解明されるのが楽しみな史跡の一つですね。