薬師寺にあるこの石碑は、日光開山の祖、勝道上人の父藤麿を埋葬したと伝えられる地に建てられた石碑です。
勝道上人は、父藤麿が没すると、遺骨を上人修行の地である薬師寺の地に埋葬し、白藤の木を植えて墓標としたと伝えられています。安政4年(1857)9月、薬師寺村役人並びに世話人が発起人となって、白藤の木ではいつかその地が不明になることを憂い石碑を建立したと伝えられます。
この白藤には以下のような伝説があります。「勝道上人が植えた白藤の木は、何十年たっても何百年たってもつるが伸びず、枯れるわけでも、かといって大きく育つわけでもありませんでした。そのため、勝道上人の徳が宿っているのだろうといわれていました。」
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
名前から、古墳をイメージしていたので実物を見てビックリしました。県道146号線を石橋方面に向かって、安国寺を過ぎ信号の手前左側にあります。車だと通り過ぎてしまうくらいに目立たないです。建てた時は白藤の木でしたが、不明になる事を恐れて石の碑を建てたそうです。
さくら/40代/女性/宇都宮
この石碑は、日光開山の祖、勝道上人の父藤麿を埋葬した地に建てられた石碑だそうです。150年以上もここに立っているのに、石碑の文字「藤麿墳」がはっきりと読み取ることができます。もともと藤麿の墓標として立てられたようなので、その役目を十分果たしているんだなと感慨深い思いがしました。
ノア/40代/女性/宇都宮
勝道上人が父である藤麿を埋葬した場所で、県道146号線沿いにあり、現在は石碑が残っているだけです。勝道上人は現在の真岡市で生まれ、下野薬師寺で僧としての資格を受けたことから、すぐ近くのこの場所を選ばれたのでしょう。日光を拓いたといわれ、栃木県にとって大切な存在の方ですね。
ぴかりん/40代/女性/日光
日光開山の祖・勝道上人の父・藤麿。勝道上人は761年から765年の間、下野薬師寺で修行をし、その後日光開山したといわれていますが、父の遺骨を修行の地である薬師寺の地に埋葬し、白藤の木を植え目印にしたそうです。現在はそこに独特の形をした石碑が建てられています。
はる/40代/女性/宇都宮
安政の頃のものということですが200年近く経っているにもかかわらず碑に彫られた字がしっかりと形を残していて、どのくらいで風化するのだろうと考えた時に人の命のはかなさを改めて考えてしまいました。
まめっち/40代/女性/市貝
細い道沿いの民家と民家の間にありました。民家の壁がない場所が藤磨墳です。スピードを出している車が多い道だったので、ひかれないように気をつけましょう。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
勝道上人の父、藤麿の墓に植えられていたと伝わる白藤のあった場所に建てられた石碑なのですね。民家の裏側の県道沿いにありました。うっかり見過ごしてしまいそうなので、ゆっくり探してみてくださいね。
ななっち/50代/女性/小山
日光開山の祖、勝道上人の父、藤麿を埋葬した地に建てられた石碑。その形も変わっています。三戒壇の薬師寺の北の端にあたるのがこの場所、何故ここが藤麿の終焉の地であったのだろうか?とふと思いました。
みおみお/30代/女性/宇都宮
御鷲山古墳から徒歩5分ぐらいの場所で、民家の畑の端にひっそりとある石碑です。勝道上人のお父様のお墓として植えられた白藤があった明確に残すために建立されたのだとか。この地で白藤が花を咲かせるたびに、お父様をしのばれていたのでしょうね。