庚申講(こうしんこう)は、庚申の日に行われる男性の集まりです。庚申様は作神様といわれ、農業を守ってくれる神様とされています。この庚申塔は本吉田の江川庚申橋西に寛文8年(1668)に造立されたものです。一般的に見られる庚申塔は、青面金剛像ですが、この像は三猿を配した台座上に阿弥陀印を結んだ阿弥陀像で庚申塔の中では珍しいものです。舟形光背は、像に比してやや大きく反りぎみで日輪と月輪を配しており、高さが177cmになる大型の庚申塔です。庚申信仰は現在では簡素化されていますが、この地域は60日に一回まわってくる庚申の日に庚申講が昔ながらに行われている数少ない地域です。
9件のクチコミがあります。
ともぞう/40代/女性/佐野
寛文8年(1668年)に造立された町内最古の庚申塔。この像は三猿を配した台座の上に阿弥陀如来像が彫られた珍しい塔との事。カーナビではたどり着けず、近所の方に教えていただきました。江川庚申橋のふもとにあります。
さくら/40代/女性/宇都宮
江戸川庚申橋の近くにあります。ただ、カーナビにも登録されていないので、たどりつくのは一苦労でした。庚申塔は、覆屋の中に祀られていました。この辺りは現在も庚申様を信仰する風習が残っている地域だそうで、この庚申塔も地元の人たちに親しまれているんだなって思いました。
ノア/40代/女性/宇都宮
江川の庚申橋の近くにあるのですが、その橋を探すのに苦労してしまいました。江川沿いの道をたどるとわかりやすいかもしれません。小さな小屋の中に阿弥陀如来の石像があり、珍しいタイプのようです。明治時代以降、廃れてきた庚申信仰がいまだに残っているということは、前に置かれたベンチで夜明かしをするのでしょうか…
ぴかりん/40代/女性/日光
江川庚申橋の南西で細い道沿いにあります。のどかな場所にひっそりと佇んでおり、昔話にでも登場するような情景でした。庚申信仰は中国の道教の思想から始まり、奈良時代の日本に伝わった後、日本固有の信仰と結びついて発展しました。庚申信仰に基づいて建てられた石塔が庚申塔だそうです。この庚申塔は阿弥陀如來像で覆屋の中に納まっていて、お顔がはっきり見えませんが、穏やかな雰囲気をかもし出していました。
はる/40代/女性/宇都宮
江川に架かる庚申橋近くにありました。なぜか目の前にベンチがあり、地元のみなさんが阿弥陀さまを囲んで集うところを想像してしまい、なんだか微笑ましく思いました。私がそこにいる間何台か自転車の往来があり、江川沿いのサイクリングを楽しんでいるのを見て、史跡めぐりもサイクリングしながらできるといいな、と思いました。
まめっち/40代/女性/市貝
住所を頼りにカーナビなどで探しましたが見つけられず、地元の方に教えてもらって何とか見つける事が出来ました。35号線の元JAを東に曲がり、お墓を右折して江川の川沿いに降りる道までくれば、すぐ見つかりますよ。
しゃぼんだま/40代/女性/大田原
こちらの庚申塔は、覆屋があり雨風から守れるよう大事に守られているのだなと思いました。三猿を刻んだ台座の上に阿弥陀印を結んだ阿弥陀像で珍しいものなのだとか。場所が分かりずらく探すのが大変でしたが、見つけた時はとてもうれしかったです。
ななっち/50代/女性/小山
とても古い庚申塔があると聞いていましたが、なかなか見つからず、長老の方についにはお聞きしてこちらに伺うことが出来ました。案内版にあるように、台座には三猿が刻まれ、その上に阿弥陀如来像があります。時間の流れとともに、河川敷でもあるので、長い間風雨にさらされていた様子も見られました。
みおみお/30代/女性/宇都宮
庚申塔とは、道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことだそうですが、こちらの庚申塔にも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が彫られていました。江戸時代初期には盛んに建てれたそうですが、その中でも阿弥陀如来像が彫られたものは珍しいのだとか。周囲には桜が植えられ、ベンチも置かれていたので、地域の憩いの場として大切にされているのが伝わってきました。