この石碑は、二十三夜と二十六夜塔を併設して享和3年(1803)に造立されたものです。二十三夜塔と二十六夜塔が一つの石に刻まれている石碑は県内でも数少なく貴重なものです。銘文に大学川原東坪中と刻まれていますが、このことは現在保存されている古文書「慶安郷帳」の中に、慶長年間に新田開発が進められた大学新田についての記述があり、この石碑はそのことと関連づけられる歴史的な資料です。以前は別の場所に造立されていましたが土地改良に伴い現位置に移動されました。この石碑の周辺が大学川原と呼ばれ、当時宇都宮領と結城領の境界になっていたと言われています。
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