栃木県下野市に所在する下野薬師寺跡は、古代東国の仏教政策を支えた国立の寺院で、奈良時代後半には、東大寺・筑紫観世音寺とともに正式な僧になるための場である戒壇(かいだん)が置かれました。平安時代の歴史書である『続日本後紀』(しょくにほんこうき)平城京の主要な寺院のようであったと伝えます。近年の発掘調査によって、塀で囲まれた範囲が東西300m・南北350mに及ぶ広大な寺院であったことが明らかになりました。