道鏡塚(古墳)は龍興寺の境内にあり、奈良時代の僧道鏡の墓と伝えられます。
道鏡は河内国若江郡弓削郷に生まれました。若くから仏教の修行を行い、僧となり孝謙天皇の信任を得て僧侶としては初めて大臣禅師に、さらには法王という位にまでのぼりつめました。しかし、称徳天皇の崩御後のすぐあと、宝亀元年(770)8月に下野薬師寺別当として配流され、2年後にこの地で生涯をとじたとされています。道鏡の死は下野国司により都に報告されましたが、その際には「死」と表記されています。(律令では、貴族が亡くなると「薨」や「卒」と表記されます。)また、その葬送については「死するときは庶人を以てこれを葬る」と明記されていることから、一般庶民と同じ扱いとされたことがわかります。
墳丘の測量と発掘調査から、古墳時代に作られた直径約38mの円墳であることが明らかになりました。埋葬主体部は確認されていませんが、墳丘各所から円筒埴輪の破片が見つかっています。形象埴輪としては翳形埴輪が出土していますが、破片であることから大きさ等はわかりません。この古墳が造られたのは、出土した埴輪から6世紀の末頃と考えられます。