この渡来銭は、天平の丘公園整備工事中に発見されたものです。出土した渡来銭は合計12,441枚で、唐の開元通宝(初鋳621年)から明の宣徳通宝(初鋳1426年)までの59種類で、中国の北宋・南宋時代のものが約77%を占めています。埋められた年代は、宣徳通宝の初鋳年から考えて、遅くとも15世紀前半の室町時代中期と考えられます。この渡来銭が入っていた壺は、器高41cmの常滑焼(愛知県知多半島)で、中世の六古窯のひとつとして有名です。この壺の生産年代は15世紀前半から半ばと推定されます。
この渡来銭により、下野市内でも室町時代中期には貨幣が使用されていたことがわかります。しかし、この時期はまだ米が流通経済の主流をなしていたので渡来銭は贈答品や貴重品としての性格をもつ備蓄銭と考えられますが、付近の人々が下野国分寺・同尼寺復興のために銭を出し合い、これを埋めておいたのではないかとの伝説もあります。
出土した渡来銭は、唐銭が2種類で923枚(7.2%)、五代銭は4種類で13枚(0.1%)、北宋銭は29種類で9328枚(75%)、南宋銭は17種類で229枚(1.8%)、金銭は1種類で24枚(0.2%)、元銭は1種類5枚、明銭は4種類で1540枚(12.4%)、李氏朝鮮銭は1種類で6枚となっています。このほかには島銭(私鋳銭の一種で独特の書体をもつ銭)が1種類で1枚、判別不明が372枚となっています。