下野市の文化財

  • 向山遺跡出土遺物(青銅鏡和鏡)
    むこうやまいせきしゅつどいぶつ(せいどうきょうわきょう)
  • 文化財の種類
  • 考古・歴史資料
  • 文化財指定団体
  • 概要
  •  向山遺跡は、田川西岸の薬師寺台地上、自治医大の前を東西に走る県道笹原二宮線から上三川高校に向かって約750m北に入った町道2-3号線上に位置し、国指定史跡「下野薬師寺跡」からは谷を隔てて西に約500m、小山一族の薬師寺氏によって寛喜年間(1229-32)に築城されたと伝えられている「薬師寺城跡」からは北に約500mの距離にあります。この和鏡は、道路拡幅工事に伴う発掘調査により、長さ約100cm、深さ約20cmの土坑内より出土したものです。直径10.4㎝、縁の高さ0.7㎝、重さ約60gの青銅製で、表裏とも緑青に被われていますが保存状態は良好です。形態から12世紀の中ごろのものと考えられます。

向山遺跡出土遺物(青銅鏡和鏡)

文化財の詳細情報

 背面文様は松喰鶴文で、鈕を中心に双鶴を対象位置に配置し、各鶴とも外向きに飛翔する構図をとっている。鶴の嘴の先で、界圏上において逆T字状に松の葉が広がっており、三葉一単位の松葉を表現している。このうち一枚が内区に配置され、鈕に向かって広がり、残りの二葉が界圏に沿って弧を描いています。鶴の頭頂部付近から右羽にかけて流水文が施されており内区を埋めています。外区は双鶴の足元に流水文がそれぞれ広がって配置されています。ほぼすべての文様が鈕を中心に対称的に配置されています。また図の下部に配置された鶴の右羽付近には2×1cm程度の有機物の付着物の痕跡が残っています。下野国分寺跡金堂でほぼ同時期の和鏡が出土していますが、その出土状況や近隣の類例から判断すると、土坑墓に副葬された際、布で包み木箱に納められた状況で出土する例があり、この有機物も布の可能性が想定されます。土坑の形状からも墓穴に副葬されたものと想定されます。

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