開雲寺に伝えられる梵鐘で、太平洋戦争が激しくなり全国的に金属類の供出が行われていたとき、この梵鐘も対象となりましたが、調査の結果、上部にある梵鐘の上部にある梵字が非常に珍しく、音も優れていたため供出をまぬがれたという経緯を持っています。銘文から宝暦8年(1758)に制作されたと考えられます。
安政3年(1856)年に開雲寺から代官所へ届出のあった梵鐘届によれば、かつては源頼朝から寄附されたものでしたが、寛文3年(1663)の将軍家綱の日光社参の際に、宇都宮城主奥平美作守が城中に移してしまったため、宝暦年間に梵鐘を再建したということです。