六角堂は下野薬師寺戒壇院跡と伝えられる場所に建っています。江戸時代には釈迦堂と呼ばれ、その前身は江戸初期にまで遡ることができます。現存する建物は、近年に改変された部分もありますが、当初のものとみられる彫刻や絵様などは江戸時代後期の様式を示しており、安国寺境内に残るほぼ唯一の近世の遺構であるとともに、県内でも珍しい六角形の仏堂です。
このお堂はほぼ南面して建っています。その名のとおり1辺11尺弱(柱芯々)の正六角形平面で、中央対角線の前半分を吹き放ちとし、後半分を堂内としています。屋根は方形造り、以前は茅葺でしたが、現在は銅板葺に改修されています。
現在の六角堂が、江戸時代には釈迦堂と呼ばれていたことは文化2年(1805)『木曽路名所図会』に含まれる安国寺境内の挿し絵によっても確認できます。天和元年(1681)の「薬師寺村外九ケ村申出図」にも釈迦堂が記されていることから、江戸時代の前期にはすでに釈迦堂が存在したことがわかります。しかし、絵図には切妻の建物が描かれていることから、当時の釈迦堂が六角形の建物ではなかったと考えられます。釈迦堂がいつ六角堂になったかは明らかではありませんが、少なくとも現在の建物は建築様式から見る限り、江戸時代後期に再建されたものと考えるのが妥当です。そう考えると、『木曽路名所図会』に描かれた釈迦堂は現存する六角堂そのものであった可能性が高いといえます。