下野市の文化財

  • 紫の五輪塔
    むらさきのごりんとう
  • 文化財の種類
  • 考古・歴史資料
  • 文化財指定団体
  • 文化財が造られた時代
  • 鎌倉・室町・安土桃山時代
  • 文化財の所在
  • 下野市紫595
  • 概要
  •  天平の丘公園内にある、紫式部の墓との伝承をもつ凝灰岩製の大型の五輪塔です。鎌倉時代後期以降のものと考えられますが、詳しい造立年代は不明です。なお、紫式部の墓といわれるのは、所在地が紫地区であるためと考えられます。ちなみに、この紫地区はもともと村崎と表記されていたものが変化したものです。地元の言い伝えによると、姿川の近くにあったものを現在地に移したものということです。
     

文化財の詳細情報

この場所には3基の五輪塔がありますが、うち2基は空輪・風輪がなく、もう1基は火輪と地輪のみとなっています。いずれも磨耗が激しく、造られた年代は不明です。
五輪塔は、地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つが宇宙を形づくる要素であるという仏教思想から造られました。平安時代中期頃から造られるようになり、仏の供養のための造立から、次第に墓標として用いられるようになり、全国に広がったといわれます。栃木県内では鎌倉時代以前の銘のあるものは確認されていませんが、鎌倉時代中期以降は、宗派を超えて造立され、石塔の主流となりました。栃木県内の例としては、益子町地蔵院の宇都宮氏歴代の五輪塔群が有名です。

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