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歴史館に展示してあった甲塚古墳出土の「機織形埴輪」が昨日、「発掘された日本列島2015」に展示するため、梱包作業を行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化財の搬出には特注の木箱が用意され、綿布団も多く使われます。

運搬用のトラックも文化財専用です。VIP対応ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴重な文化財を取り扱うため、作業する人は靴を脱いで細心の注意を払いながら作業します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埴輪の部品一つ一つ写真を撮りながら入念に確認します。そのため、梱包作業は時間が大変かかります。

…そして無事、搬出終了!

皆様、大変お疲れ様でした。

このような苦労あっての甲塚古墳出土の埴輪が見られる「発掘された日本列島2015」皆様ぜひきてくださいね。

5月30日(土)より7月20日(月・祝)までは東京都 江戸東京博物館で展示します。

9月19日(土)~11月1日(日)の期間には栃木県立博物館で展示予定です。

 

下野薬師寺歴史館では、今年もグリーンカーテンの準備が整いました。
植物の生育が遅く、まだ日差しを遮るほどには育っていませんが、
早くも花を咲かせた株もあり、今後の成長が楽しみです♪

下3枚の写真は何の植物かわかりましたか?
カーソルを写真の上にのせると答えが表示されますよ!!

 現在史跡地では回廊付近にあるヤマザクラが見ごろです。
 

ヤマザクラはソメイヨシノなどのサクラの仲間で、巨樹となる長寿なサクラです。

史跡地にあるヤマザクラも見上げるほどの大きな樹ですが、付けている花は白くてかわいらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在ではお花見の対象はソメイヨシノですが、ソメイヨシノが広まる明治以前はこのヤマザクラが花見の対象でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、もう一つご紹介したい花がこのヤマブキです。

 

 

 

 

 

 

ヤマブキもヤマザクラと同じバラ科の植物で、『万葉集』では春の花、そしていとしい人への恋の花として詠まれました。

 

 

 

 

 

 

 みなさんも史跡地を訪れた際にはぜひご覧になってくださいね♪

 

下野薬師寺跡の梅の花はほぼ終わってしましいましたが、
安国寺のエドヒガンが見ごろとなりました。

エドヒガンはソメイヨシノの片親としても知られる種で、
彼岸頃に花をさかせることからその名がつきました。

長命で大木になることが多いそうで、安国寺のエドヒガンも
たいそう大きく、下野薬師寺歴史館の窓からも見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史館では、下野薬師寺跡周辺の樹木マップを無料で配布していますので、
ぜひこの機会にご活用ください。

樹木マップに掲載されている樹木のうち、
前述のエドヒガンの他、ヤブツバキ、コブシなども綺麗な花を咲かせています。

 

尚、安国寺本堂をご見学の際は、一声お掛けくださいますようお願いいたします。

みなさんこんにちは。

下野薬師寺歴史館では現在「戒壇の歴史と流れ」のパネルを展示しています。

このパネルは、平成24年の薬師祭(自治医科大学学園祭)での展示のため、下野薬師寺ボランティアの会員の方が作成したもので、天下の三戒壇といわれた下野薬師寺の「戒壇」について、わかりやすくかつ詳細に解説されています。

ぜひこの機会に下野薬師寺の知識をさらに深めてみてはいかがでしょうか?

 

本日、10月18日に収穫した古代米の脱穀を、下野薬師寺ボランティアの方々と共にしもつけ風土記の丘資料館にて行いました!

脱穀は、昔ならではの足踏み式脱穀機(通称ガーコン)を使用!

足踏み式脱穀機は逆V字型の針金を埋め込んだ円筒形のこぎ胴を人力によって回転させ、そこに稲の束を押し付けることで穂から実をこそぎ落とす機械です。

 

こぎ胴の回転はとても速いので、手を巻き込まれないように細心の注意が必要となりますが、下野薬師寺ボランティアの方々は慣れた様子で脱穀を進めていました。

 

私も脱穀機を体験させていただきましたが、稲の束をこぎ胴に持っていかれてしまい脱穀になりませんでした。 (;-ェー)

 

 

穂から実を落としたら次の作業は、「唐箕」を使用してゴミを取り除き、籾米にします。

唐箕は上部にある漏斗から少しずつ穀物を落下させ、そこに横から風を送って藁屑などの軽いものを吹き飛ばす機械です。

 

藁屑などが混じっている籾米を唐箕にかけると‥

 

ご覧のとおり!藁屑などは取り除かれ、籾米のみになりました!

 

 そして、気になる今年の収穫量は、米袋(30㎏用)で10袋になりました!

実際籾摺りを行うともう少し嵩が減るのですが、昨年の収穫量6袋に比べ豊作です!

下野薬師寺ボランティアの皆様お疲れ様でした!

次の作業は籾摺りです☆

 

 

10月18日(木)、古代米の稲刈りを行いました。
時折小雨の降るあいにくのお天気でしたが無事に収穫することができました。

 

 

 

「稲刈り」というと、コンバインを使って刈りながら脱穀まで済ませてしまうのが一般的ですが、
ここではそのような便利なものは使いません!!ひたすら手作業で刈り取っていきます!!!

私たちが栽培している緑米というお米は、縄文時代に伝来したと言われています。
籾摺り後のお米がほんのりと緑色をしているのがお分かりになるでしょうか。
(下の写真は昨年収穫したお米です)

 

刈り取った稲は麻縄で束ねていくわけですが、これがなかなか手間取ります。
ここで手を抜くと、干す時、脱穀する時にバラバラになってしまうため力を込めて括りました。
緑米は通常の白米より丈が長く重いのです。
なかなかの重労働であることをお察しください(゚ー゚;

収穫したお米は、毎年3月に開催される史跡まつりで古代米餅として無料配布される他、
市内小学生の体験学習などに使用されます。

まだまだこれから脱穀、籾摺り等の作業が待っていますが、
ひとまず今年も豊作でホッとしました♪
3俵くらいになるのではないかということです。

(下野薬師寺歴史館 K.T)

8月18日(土曜日)、国分寺公民館にて「ベニバナ染め体験講座」が行われました。

講師には栃木県指定無形文化財工芸技術保持者の日下田正先生と、大河原陽先生にお越しいただきました。

染料のベニバナは、7月21日に下野薬師寺跡史跡地内で行われた「ベニバナ摘み体験」で収穫したものを一部使用しています。
過去のブログでも触れましたが、収穫量は当初2.2㎏ほどありました。しかし乾燥させるとなんと約1/6の350gにまで減ってしまいました。これだけでは染料としてはまかないきれないため、別途購入したベニバナと併せて使用します。
乾燥させたベニバナは前日に水洗いし、黄色の色素を洗い流しました。

ベニバナの花には黄色と赤の色素が含まれていますが、きれいな赤色に染めるためには黄色の色素を取り除く必要があるのです。

何度も繰り返し水の中で揉んで黄色を取り除いたものを水に入れなじませたのち炭酸カリウムを入れました。するとどうでしょう。先ほどまで水に溶け出ることのなかった赤い色素が出てきました。紅花の赤い色素はアルカリに溶ける性質なのだそうです。今回はアルカリ溶液を作るために水に炭酸カリウムを溶かしましたが、昔の人は藁の灰や藜(あかざ)の灰に水を入れ寝かせたものの上澄み液を使用しました。ちなみに藍を染める時はクヌギ、ムラサキには椿の灰が使われるのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

色素が抽出されるのを待つ間に、講師の日下田先生のご厚意で藍染めも体験させていただきました。

染色のはじまりは藍草を衣や糸にこすりつける等の素朴なものでしたが、日本では遅くとも5世紀には本格的な藍染めが行われるようになったと言われています。中国・朝鮮半島との交流が盛んになるにつれ染色技術は進化していきました。

藍染めはどんな繊維にも染めやすく、また日光堅牢度に優れ退色しにくいことから各地で愛用されてきました。ベニバナ染めの衣が高貴な人たちの贅沢品であったのに対し、藍染めは身分の高低に関わらず着用することが出来たのです。

日本では主に蓼藍という植物を用いて藍染めを行いましたが、葉の収穫後すぐに染めないと美しい青色にはなりません。葉の茂る夏にしか染色できないことになります。そこで一年中染めることが出来るように考案されたのが藍を発酵させて染める方法でした。藍の色素は水に溶けないため、煮詰めても染液になりません。一度発酵させる必要があるのです。

よく乾燥させた藍の葉に水をかけて3か月ほど発酵させます。これを藍甕に入れアルカリ溶液に溶かします。そうすると還元発酵によりふつふつと泡が立ってきます。これを「藍の花」と呼び、染色が可能になった合図となります。

藍をたて、維持することは職人さんでも大変難しいことなのだそうです。
今回はそんな貴重な藍甕をお持ちいただきました。

各自様々な形に絞ってあるハンカチを染めました。
藍の中で揉みこんでは絞り、同じ作業を3回繰り返した後水にさらします。

 

 

 

 

 

 

 

美しい模様と色にあちらこちらで歓声が上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

さて次はいよいよベニバナ染めです。
しっかりと赤の色素が抽出できたらいよいよ染めの作業に入ります。

袋にベニバナを入れて絞り、花と染液を分けました。

 

 

 

 

 

 

 

アルカリ溶液に溶け出た赤の色素は酸性で定着します。少しずつクエン酸を入れ酸性に近づけます。昔の人は熟した梅の実に灰をまぶし燻製したものを水に入れ、酸性にしたのだそうです。
クエン酸を入れた途端に泡立ち、泡の下からはきれいな赤い染液が覗きました。

布を染液に浸したあとはムラにならないように手早く布を繰ります。
約15分ほど染液に浸した後は絞って水洗いして完成です!!

 

 

 

 

 

 

 

鮮やかな色のハンカチがたくさんできました。

 ベニバナ摘みからはじまり、紅花染め、藍染め体験を通して、古代から綿々と受け継がれてきた染色の歴史を垣間見ることができたのではないでしょうか。

 

好きな色の衣服を自由に手に入れることの出来る現代の私達にはなかなか想像し難いことではありますが、古来衣服の色というのは単なるお洒落に留まらない重要な意味を持っていました。「冠位十二階」制度に代表されるように時として身分を表すものであり、選択に多くの制限が伴いました。

使用する材料や割合は細かく規定され、着用する場面に関しても時に制限される場合がありました。その内容については『延喜式』にも詳細に記されています。

平安時代には裕福な貴族たちは色とりどりの衣装を何枚も重ね着してその華やかさを競いました。「襲(かさね)の色目」といって、その折々の季節に応じた色を重ねて着るのです。『源氏物語』『枕草子』・・・どの古典作品を手にとっても、色に関しての記述の細かさに驚かされることでしょう。斬新で美しいその色の取り合わせは今現在でも多くの場面で参考にされ使用されています。

いくつもの染料をかけ合わせ、その濃度を細かく調節することによって色の違いを楽しんできた稀有な文化と伝統を、これからも大切にしたいものですね。

(歴史館 K.T)

7月21日(土)、下野薬師寺跡史跡地内のベニバナ畑で

ベニバナ摘み体験を行いました。

 

収穫した約2.2㎏のベニバナは現在、歴史館前で乾燥中です。

はじめはしっとりと湿っていたベニバナですが、だいぶ水分が抜け、カサカサしてきました。

色も黄色から赤へと変化していきます。

日毎に色が変化していく様子をご覧いただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付は収穫日です。

摘んだばかりの花と比べるとかなり色が濃くなっているのがお分かりいただけると思います。

 

8月18日のベニバナ染め体験の時にはどんな色になっているでしょうか。

変化が楽しみですね。

(下野薬師寺歴史館 K.T)

みなさんは「笹紅(ささべに)」というものをご存知でしょうか?

江戸時代の浮世絵を見ていると、下唇だけ緑色に塗られている女性の姿に出くわすことがあります。

これが「笹紅」です。

良質の紅を何度も厚く重ねて塗ると、緑色(玉虫色)に光るように見えます。

これが緑色の唇の正体です。

 

緑色ににぶく光る唇は世の女性たちの憧れでした。

しかし、当時紅は「金一匁、紅一匁」といわれるほど高価なものであり、

贅沢に紅を重ねることができるのはごく一部の人に限られていました。

そこで考えられたのが、

下地に墨を塗り、その上に紅を薄く重ねる・・・という裏ワザでした!!

 

現代の私たちからすれば、奇抜で突拍子もない化粧ですが、

きっと当時も年配の方たちは眉をしかめたことでしょう。

「今どきの若いものは・・・」などというお小言も聞かれたに違いありません・・・。

いつの世もかわらないものですね。

 

さて。

下野薬師寺歴史館では、毎年「ベニバナ染め体験講座」を開催しています。

(全2回の連続講座で、2回とも参加できることが申し込みの条件です。)

 

1日目(7月21日)はベニバナ摘み体験を行います。

文化課職員が講師となり、下野薬師寺跡で栽培しているベニバナ摘みを体験します。

この日に収穫されたベニバナは約1ヶ月間かけて乾燥し、ベニバナ染めの原料の一部として使用されます。

2日目(8月18日)はベニバナ染めです。

講師に栃木県指定無形文化財工芸技術保持者である日下田正先生と大河原陽先生をお招きし、

ハンカチなどを染めます。

 

ベニバナの日本への伝来時期については定かではありませんが、

6世紀の遺跡である藤ノ木古墳(奈良県)からベニバナの花粉が発見され注目を集めています。

 

千年をはるかにこえる昔から、明治時代に化学染料に取って代わられるまで、

その鮮やか色彩で人々を魅了し続けたベニバナ・・・。

ベニバナ染め体験を通して、昔の人々の贅沢気分にひたってみてはいかがでしょうか?

 

たくさんの方のご参加をおまちしています。

詳細はコチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(歴史館 K.T)